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株式会社NEKO-KENは「中小企業・零細企業の倒産を防ぐ為のコンサルタント会社」です。

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第1章 無借金生活から大借金生活への転落HEADLINE

順風満帆の大企業サラリーマン時代

私は1960年代半ば、東京近郊で生まれた。 両親は自営業で、ある業種の卸売業を営んでいた。両親は自宅兼職場で毎日休み無く働き、生活は決して裕福とはいえなかったが、小さなマイホームは持っていたし、人並みの質素な生活ができるレベルだった。 私は公立のごく普通の中学・高校へ進学し、多少の紆余曲折はあったものの、一応そこそこのレベルの、政治家や弁護士などを多数輩出している大学へ進学することができた。

大学卒業後、私はサラリーマンの道を選んだ。 理由は、両親が毎日休み無く働き、仕事と私生活の区別が全くできていない姿を見ていたのと、親の仕事を見るかぎり、自分で小さな会社を経営していても、そこから大きく発展するのは至難の業であり、資金・人脈・与えられるチャンス等、どれをとっても限界がある、と思ったからである。 だから私は、大学卒業後はまず大企業へ就職し、そこで様々な職種や勤務地を経験し、人脈と実務と組織を学び、自営業では絶対出来ないような数十億・数百億単位の大事業をチームプレーでやってみたいと思っていた。 そしてそこで得たノウハウと人脈を活かし、将来機会があれば独立したいと思っていた。

当時はバブルの真っ盛りということもあって、希望どおりの会社へ就職することができた。 一部上場の、仕事はきついが給料が高いことでちょっと有名な大企業である。

私はこの会社に約8年間いた。 その間、1回の配置転換と1回の出向と数え切れないほどの海外出張を経験し、まだまだ不十分ではあるが、そこそこの人脈と一通りの実務ノウハウを身に付けつつあった。 給料も結構良く、入社2年目で年収500万、5年目で700万、辞めた9年目には年収800万以上もらっていた。 仕事はとてもやりがいがあり面白く、できればもうあと10年ぐらいはこの会社にいたいと思っていた。


親の事業失敗〜無借金経営から銀行貸し渋り、商工ローンまで転落

1990年代前半、親の仕事に異変が起きた。

今までずっと安定継続していた商売に、思わぬ競合先が現われ、売上が少しずつ減少していったのである。 それまでは事業は比較的安定していて、運転資金もすべて自己資金で足りていた。無借金経営である。 銀行から融資の勧誘がきても、借りる必要が無いので全部断わっていた。 しかし90年代初頭あたりから売上がどんどん落ちていって、わずか数年のうちに運転資金がショートするようになっていった。

そしてそれを埋め合わせるために、両親はクレジットカードのキャッシングを多用するようになった。 資金ショートとはいっても金額がまだ小額だったのと、銀行とのつきあい方を知らなかったためである。

その後、事態はさらに悪化していった。 90年代半ば頃、両親は業績回復を図るべく、新規事業で一発賭けに出たのだが、それが大失敗してしまったのである。 その事業で、ある突発的なトラブルに巻き込まれ、1000万円以上の損失を被ってしまい、その資金をどこからも捻出できない事態になてしまったのだ。 自己資金は底をついている。 銀行は今まで取引実績が無いうえに業績も低迷しているため全く相手にしてくれない。 公的金融機関も(今までどんぶり勘定でやっていたため)提出書類の内容が不十分ということで断わられてしまった。

そしてどうにもならなくなって、両親はちょうどその頃勧誘のあったノンバンク(大手商工ローン業者)からの誘いに乗り、とうとうそこへ申し込んでしまった。 と同時に、第3者の連帯保証人がどうしても要るということで、両親は私に連帯保証人になってくれと言った。 私は別世帯・別収入・無借金で、しかも一部上場の高給サラリーマンだったので、連帯保証人としては申し分なかった。 事の重大さに気付かず、すんなりとOKしてしまい、翌日には一緒に商工ローン業者へ契約しに行った。

こうして約700万円を年利約35%・不動産担保つき・連帯保証人つきで借りてしまった。 このとき両親は「頑張って早く返すから心配しないでくれ」と言ったが、私もそれを信じて、今までどおりに普通にサラリーマンを続けていた。

しかしその後も売上不振・資金ショートは続き、700万円の借入は1年後に1000万近くに膨れ上がり、さらにカードの借入が両親あわせて500万以上、さらにそれでも足りず別の商工ローン業者から400万借入れ(このときも私が連帯保証人になった。 ここは手形貸付の大手業者である。)、当然のごとく、借金は雪だるま式に膨れ上がっていった。

しかしそれでもまだ、私はそれほど重大に考えていなかった。 両親とは別のところに住んでいたので実感がつかめなかったし、私のサラリーマン稼業とは全く次元の違った話なのであまりピンとこなかったというのもあるし、私自身はまだ「連帯保証人になっただけ」で、借金したことはなかったからである。

私がいよいよ事の重大さに気付きはじめたのは、両親がカードローンの返済に困り果て、私にカネを貸してくれと言ってきた時である。 そのとき、私は会社の財形貯蓄で数百万の貯金があったので、それを全て解約し、親に渡した。 しかしすぐにそれも足りなくなり(本当に利息というものは恐いものである)、また数百万を親に貸さなければならなくなったので、私はとうとうクレジットカードで数件キャッシングして、そのカネを親に渡した。 その時すでに商工ローン(年利35%前後)の借入は2000万近く、両親のカード借金(年利25%前後)は600万以上に膨れていたので、利息だけで年間1000万ぐらいかかっていた計算になる。 その上収入は落ち込むばかりだったので、1年で1000-2000万円ずつ借金が増えていく恐ろしい事態になっていたのだ。

親にどんどん金を貸していくうちに、私もとうとう貯金が底をつき、カードローンが増え、しまいには消費者金融からも借りるようになっていた。 私は一部上場企業勤務で年収も高かったから、それこそいくらでもカードが作れた。 私が会社を辞めたときに所有していたカードの数は、銀行系クレジットカード2枚と信販系クレジットカード4枚、消費者金融カードが5枚、計11枚、キャッシング枠にして約700万円である。

700万円もカードの借金があると、利息だけで月15万円前後になるので、さすがに私も首が回らなくなってきた。 また会社にカード会社から個人名で在籍確認の電話がよくかかってくるので、とても恥ずかしい思いをした。

そうこうしているうちに、このままでは私もいずれ返せなくなる時が来ると思い、毎日深刻に悩むようになった。 そして最終的に、サラリーマンを辞めて親の会社を継ぐ決心をした。 私はサラリーマンとしては絶好調だったので、私が会社を辞めて家業を継いでも応援してくれる取引先がいくつもあるだろうと思っていたのと、現在会社でやっている事業のうち一部でも自分でやれば、それだけで莫大な収入が得られるだろうと考えたからである。 もちろん甘い考えかもしれないが、今はそれしか生きる道がないのだと自分にいいきかせて、思い切って8年間いた会社を辞めてしまった。

マイナスからのスタート - 脱サラして、負債だらけの会社を引き継いだ私

借金まみれのスタートである。

この時点で、我が家(会社・両親・私)の負債総額は、商工ローンA社1300万、B社550万、C社300万、銀行の住宅ローン600万、父のカード6社400万、母のカード5社400万、私のカードが11社700万、親の友人からの借金700万、合計5000万円以上はあったと思う。 ほんの数年前までは無借金だったのに、たった1000万円の赤字と毎月のちょっとした売上不振を埋め合わせるためにノンバンクとカード会社から借入を重ねた結果がこれである。 いまさら言ってもしょうがないが、最初から会社の帳簿と家庭の家計簿をきちんと区別して、会社として銀行と少しでも取引を積み重ねていれば、こんなことにはならなかったと思う。 借金という行為自体は事業を営んでいく上で必要不可欠なものだが、その借り方と借りた相手が悪すぎた。

しかしそれでも私は諦めていなかった。 私が家業を継げば、あっという間に借金全額返済できると信じていた。 脱サラして、私が代表権を継ぎ、両親には私の仕事を手伝ってもらうという形でスタートすることになった。

まずは最初にやることは事業再編・業績回復から!?

やらなければならないことは沢山あった。 まず事業を再編して、売上高を上げると同時に利益率の高い商売に特化しなければならない。 利益が薄くリスクの伴う商売を極力排除しなければならない。 経費をとことん削らなければならない。 家族が一丸になって、同じ目標(=借金返済)に向けて共に協力しあわなければならない、等々。 何よりも優先すべきは、利益率の高い商売を少しでも増やすこと。 そのために、前の会社で私が担当していた取引先の中で、最も私と個人的に親しくさせてもらい、しかも利益率が飛びぬけて高かった相手先との商権(数件)を、まるごと私の仕事として持ってきてしまった。 この仕事は、私が前職の中で自分で開拓した仕事で、私がいなければ継続が難しい内容のものだったので、会社も比較的すんなりと許してくれていた(会社の上司には私が辞める本当の理由を打ち明けていたので、ひそかに応援してくれていたという事情もある)。

その仕事の内容についてはここではあえて触れないが、在庫リスクゼロ、粗利率30-45%、年間売上高1億円程度を見込めるものだった。 したがって、順調にいけば1年間で3000-4500万円の利益を上げられるので、そこから販管費を1000万円以下に抑えれば、年間2000-3500万円を返済に充てられる。 うまくゆけば、2年以内に全額借金返済に成功し、3年目からは人を数名雇ってさらに事業拡大し、財務体質もどんどん強化できるのではないか、と楽観的に考えていた。

この時点では、私は今の借金を「稼いで返す」ことしか考えておらず、そのバカ高い金利を圧縮しようとか、金融業者と交渉しようなどとは全く考えてもいなかった(そういう法律知識も金融知識も無かった)。
私も両親も、今までカードやローンの支払を一日も遅らせたことはなかったし、一日でも遅れるととても恐い目にあうのだと、漠然と思っていたので、とにかく契約で決められた借金は、どんなに無理してでも、1日も遅らせることなく返済していた。

しかし借金は減るどころか膨れる一方・・・

脱サラして家業を継ぎ、前の会社で担当していた商権も一部持ってきて、希望に燃えてスタートしたものの、事業はそう簡単にはいかなかった。 予定が外れてうまくいかないことばかりであった。

前職のときと全く同じ条件で商売するには、まず最低限の資金が要る。 仕入代金、付属品費用、売掛金回収までのつなぎ資金など、どんなに経費を削っても最低限必要な資金が要る。 仕入代金は仕入先の協力を得て支払いをかなり遅らせてもらえるところがあったが、それでも全体の半数ぐらいの仕入先は、現金払いでしか相手にしてもらえなかった。 大企業にいた頃の私よりも、明らかに信用が落ちていた。 ある程度覚悟はしていたが、まさかこれほどとは・・・。 私が甘かった。

そこで現金を捻出できない私は、両親の人脈をつたって、支払条件のゆるい、全く新しい仕入先を探した。 しかしそういう会社は、私の得意先が要求する品揃えや物づくりができない(技術レベル的に)ため、得意先からクレームがついてしまう・・・。 だがそれしか選択肢が無かった私は、その新しい会社に散々無理難題をつきつけて、私の得意先の要望にこたえられるよう「教育」していこうとした。 しかし結果的にはそれも失敗に終わり、得意先からはクレームがつき、次第に仕事が減っていった。 というか、得意先のほうは私にいろいろな仕事をくれるのだが、私がそれに応えられる仕入・下請け業者をつかむことが(資金的に)できなかったのだ。

こうして初年度の売上は予想をはるかに下回り、利益率は高かったものの、利息返済に追いつくほどの売上高を得られなかった。

また、もうひとつの「計算外の出来事」は、今まで借りていたノンバンクが、私が脱サラしたことを理由に、与信限度額を下げてきたのだ。 一部上場の高給取りだった時としがない自営業主の現在とでは、社会的信用度がまるで変わってしまったのだ。 ノンバンク数社がいっせいに、現状維持のためには連帯保証人を新たにもう1人立ててくれと要求してきた。 できなければ一括返済しろという。 私たちはパニックになり、一括請求とか強制執行とかいう聞き慣れない言葉が頭の中をよぎり、言いようのない恐怖感に見舞われて、無我夢中で第3者の連帯保証人を探した。 そしてやっと、ひとり見つかって、その人に頼み込んでノンバンク1社の連帯保証人になってもらった。 (これで、ますます破産はできなくなった。) 残りのノンバンク数社は連帯保証人を立てず、そのかわり新たな借入ができないという条件で折り合った。

そうこうしているうちに、本業は思ったようにいかず、また借金のために余計な時間と労力を取られ、借金は減るどころか、ますます膨れていく一方だった。

家業を継いで(脱サラして)1年後、負債総額は6000万円を超えた。

とうとう「街金」「トイチ」から何軒も借りるハメに

それでも私(たち)は諦めなかった。 なんて諦めの悪い家族なんだろう。

6000万円も借金があって、しかもその平均利息が年利30%前後もあるのだから、単純に考えても年間2000万円以上の営業利益(経費を差し引いた利益)を生まなければ借金は一向に減らない。 つまり、年間2000万円以上の営業利益を、運転資金なし、銀行からの借入れなしで、親子3人だけで稼ぎ出さなければならないのだ。 今時カネが十分にあっても事業成功することは難しいのに、これは大変な難題である。

しかし勝算はあった。 まず、私の前職から持ってきた仕事。 これは仕入の資金負担の問題さえクリアすれば、仕事のボリュームは元に戻る。 これを何とかするために、説得力のある事業計画書を作成して公的金融機関(保証協会や国金など)へ融資申請すれば、その仕事のための運転資金は得られるかもしれないと思っていた。 そしてもうひとつの勝算は、私の親が開発した、ある突拍子も無い商品が、爆発的ヒットの可能性を秘めていたことだ。 しかもこの商品は利益率も高く、仕入先の決済条件もゆるく、他人には簡単に真似できない、仮に真似されても一度ついた固定ファンはなかなか減らない、しかも社会的にも非常に意義がある、という商品である。 他に前例が無いので売り先を一気に増やすのは困難だが、少しずつ増えていくことは間違いない。 それまで耐えられるかどうかわからないが、もし耐える事ができたら、数年後には間違いなくこれだけで借金全額返済できるだろうというモノだった。 現実に、少量だけ製品化してテスト販売を試みた結果、思っていた通りに売れた。 保守的な販売先にはなかなか受け入れてもらえないが、いちど買ってくれた相手先やエンドユーザーからは大変な高い評価をもらうことができた。 (これは今でも順調に売上伸長している)

かし、公的機関の融資はノンバンクの借入があることを理由に何度申し込んでも断わられ、事業も思い通りに進んでいくのには時間がかかり、その間、相変わらずひどい資金ショートが続いていた。 借金を借金で返し、いったん返した借金をまた借り直して別の借金返済にあてる、重度な自転車操業、火の車状態が続いていた。

そんなあるとき、以前から時々来ていたアヤシイ金融関係のDMやFAXが急に気になりはじめた。
それらどれにも、「低利で債務一本化します」とか「年利10-22%、多重債務者でもOK」とか書かれている。

いずれも神田や池袋といったガラの悪い場所にある会社なので心配だったが、ほかに資金調達のアテも無いので、とにかくそのDMのキャッチコピーを信じて行ってみようと思い(私たち家族はこういうことにまるで免疫が無かった)、悪質だったら断わるつもりで、神田にあるA社という会社にFAXで申し込んでみた。

すると、すぐに相手から、「審査に通りました。300万円まで年利14%でOKです。 すぐに印鑑証明と実印と手形帳と何々を持ってきてください」という返事があった。 私は喜んでその会社へ契約しに行った。

しかし訪問してみてビックリ。 汚い雑居ビルの一室で、入り口には看板もなにもない。入ってみると机が3-4個ほどあり、それぞれ仕切られていて、隣の机が見えない。 ラジオがガンガン鳴っている。 机の上には電話機と筆記具と電卓とカレンダーしか置いていない。 従業員はみんな若くて、ちょっと目つきが悪い。 とても薄暗いどんよりとした雰囲気である。

非常に心配になりつつ、それでも書類を提出して話を聞くと、さっきの電話の時とはまるで話が違う。「もういちどコンピューター審査をかけてみたのですが、アナタはちょっと他社からの借入が多すぎます。 このままでは貸せません。」というのだ。 私は半ばショックを受けながらも「そうですか」と帰ろうとすると、今度は引き止められて、「じつは、それでも方法があります。 初回だからと思って割り切ってほしいのですが、利息をちょっと上げれば100万ほど貸せます」という。 私は切羽詰まっていたので、くわしく話しを聞いた。 すると、「100万貸せるが、利息先取りで今日の手渡しが85万。 10日後に返してくれるなら返済額は100万でいい。 20日後なら115万になる」、という。 つまり、10日で15%もの利息がつくわけだ。 しかも、その担保として、100万円の手形と15万の手形(いずれも期日のところを空白にする!)を置いていけという。 しかしそのかわり、貸し借りの実績を積めば、次回からはかならず利息を安くし、将来的にはDMにあったように年利14%にできるというのだ。

結局、私はそこから100万借りてしまった。 手取り85万で20日後に115万返すという約束で。
私はこのとき冷静な判断力を完全に失っていた。

そして20日後、その115万を返済するための手立てがないので、同時期に勧誘が来ていた他社からも同じような条件で借りてしまった。 しかもそこは115万も貸してくれなかったので、似たような会社2件から借りることになってしまった。 気がついたら、85万借りたのが20日後には115万になり、1ヶ月後には3件150万になり、2ヵ月後には4件300万になってしまった。

マチ金からの借入が増えれば増えるほど、利率は高くなっていく一方で、最終的には10日1-2割では貸してもらえず、とうとう10日で3割という会社にまで手を出すようになってしまった。 いずれも手形を預かっているので、返済が遅れると不渡りになってしまうという恐怖(商売では手形を一切使っていなかったが)、そして何となくヤクザが後ろについているような雰囲気があったので、どんなことがあっても返済を遅らすわけにはいかないという恐怖感があった。 しかし現実には新たに貸してくれる先もなくなり、しまいにはそういうマチ金からも融資を断わられるようになり、それまで借りていたところに泣きついて、手形ジャンプさせてもらって利息分だけ10-20日おきに数十万払うという繰り返しになっていった。 途中、に大手商工ローンから「キャンペーン期間ですので増枠できます」といわれて300万円借りることができたので(年利35%、このときは商工ローンが神様に見えた)、それでマチ金を一旦全額返すことができたが、1ヵ月後にはまたすぐに借りなければ回らない状態に戻り、「利息安くしますから借りてくださいよ」とのしつこい勧誘に負けて、またまたマチ金から借りるようになってしまった。 そして2ヵ月後には6件700万ちかく(どれも10日で1-3割)にまで膨れていった。 いよいよ私も終わりか!? 夜もなかなか寝付けない。 仕事もまったく手につかない。 憔悴しきって、一時は自殺まで考えた。

このとき、我が家の負債総額は約7000万円以上。
そのうち6000万強が年利30%前後、700万が10日で1-3割(年利に換算すると360%〜1080%!!)

【第2章 ・どん底の借金地獄から脱出する方法を模索する日々】へ・・・


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